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ゆだねと礼拝

道は すぐわすれられてしまう
やさしい道なら すぐ覚えるが むつかしい道は すぐ忘れてしまう
日常のいろんな問題が ぶつかってくると
しっかりつかんでいない道は その嵐の中で 見えなくなってしまう

ゆだね ゆだね ゆだねようとするが うまくゆだねられない
問題解決をその「ゆだね」によって 解決しようとするも
ゆだね切れない
ゆだねの効果は どこへいってしまったのだろう
本当のゆだねの道に 入っていないとわかりながら
その「ゆだね」に たよろうとするも
それは効果を あらわしてくれない
ぴったり「ゆだね」の中に 入っていない自分を感じる
ところが その見失ったであろう道を
いつも苦心して さがしているうちに
やっと見つける事ができた

それは「礼拝」を通じないと ダメだという事
礼拝することが「ゆだね」えある事が はっきりしてきた
ゆだねようとする事は 本当のゆだねではない
それは 知識の道である
ゆだねは 結果としてくるものである
「礼拝」は幾何学である
礼拝するのでなく 「礼拝」そのものになるのである
幾何学の重なり 重なりこそ幾何学である
そこに「礼拝」がある その「礼拝そのものになること
幾何学となり 更にそれが「ゆだね」そのものとなる
「ゆだね」はゆだねようとして くるものではない
知識の道と 本筋の道とはちがう
ゆだねよう ゆだねようとする事は 単なる頭だけの道である
それは本当の ゆだねではない
だからいつも 「ゆだねよう」とつとめねばならず
そうして そのゆだねは すぐふきとんでしまう
問題は 頭の中でいつも 型をもつ
だが本当の「礼拝」に没入すると
そこに「ゆだね」が来る事になる
その時 幾何学に ずばりと入った事になる

ワシはその時 とぶのである
ワシの翼の一線は この時かっそうをはじめるのである
とぼうとして 飛べるものではない
頭の中でこしらえた ワシの翼は 見事に言うことをきかない
ワシは ワシの翼は つくろうとして つくれるものではない
「礼拝」そのものの中に 没入した時 それはなる
それらは なるのである