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 ナーラーヤン内垣師の追悼式、一周忌

2012年8月にナーラーヤン内垣師が逝去されました。

ご神前 ご祭壇

それに伴い2012年10月に大阪本部、アメリカ支部で追悼式を行いました。

大阪追悼式 アメリカ追悼式

また、一年後の2013年9月に大阪本部、アメリカ支部で一周忌を行い、光司先生と共に皆で師の思い出等を分かち合いました。

光司先生のお話 お祈り

 ナーラーヤン内垣師への追悼文…内垣師秘書 メアリー・松本先生(USA)

私は長きに渡り、このような偉大な先生と共に居れましたことは、大変幸運でした。 先生に関する美しく、素晴らしい驚くべきお話が沢山ございますが、本日はその中から、 ナーラーヤン先生のご逝去の前後に起こった素晴らしい、神秘的かつ奇跡的なお話をさせて頂きます。

先生は25才の時に、人類救済の道を志され、そのために宗教や宗教哲学、科学を研究しながら、 厳しい宗教的修行生活に入られました。その結果、天から非常に多くの啓示を受けることが出来るようになられました。 先生は名誉、地位、金銭には関心を持たれず全生涯を通して、ただ啓示に従われたのでした。

先生が、ホスピスサービスを受けられる1か月前のことです。 先生は私達に「これから次々と不思議な事が起きる、という啓示があった。」と話されました。 事実その不思議な事が、マーシイ病院からのホスピスサービスを受けられる頃から起き出しました。 ホスピスから係りの女性職員が訪ねて来られた時、その方は先生は偉大な方だと感じられたので、 先生が人々にされた事――パキスタンからの独立戦争後のバングラディッシュに、 110人の戦災孤児のための母子寮を設立され、衣・食・住,教育を与えられたこと、 インドのアジメールでは、不可触賤民の村落に入っていき、医療活動や職業訓練センターを提供されたこと等を説明しました。 その方は「先生が人々のためにされた事に対して、今我々が先生にお返しする。」と言われました。 翌日から、先生は心のこもった素晴らしいホスピスサービスを一ヶ月間受けられたのです。

ホスピスサービスが始まって4日後、先生はこのセンターのちょうどここの椅子に座っておられ、 そこへ私がサプリメントを持って行った時の事です。先生は「少し若い男の人がそこの本棚の前に立っているのが見え、 その人がとても美しい声で歌を歌ってくれた。」と言われたのです。先生は感動された様子で 「その声はとても美しかった……。」と繰り返しおっしゃいました。「それは天人でしたか?」とお尋ねすると、 「もちろんだよ。」とうなずかれました。そこで「その天人はどんな歌を歌っていたのですか?」とお尋ねしました。 先生は「さらばゆくなり 天国へ、さらば行くなり天国へ……と歌った。」と言われました。 私達はショックを受け、先生は、もうすぐ天国へ行かれるかも知れないと思いました。 しかし先生は、それから後3週間私達のために生きて下さいました。

その日の午後、マーク・レンデス氏、ジム・ニューエル氏 モンテ・フィチェット氏、 マイク・モイナハン氏が先生の御見舞いに来られました。お話しされている時に先生は天人について語られ、 「天に昇って行く時、天人は透明になりました。」とおっしゃいました。

先生が最後の眠りに入られた時、心臓はまだ動いていました。そして、奇跡が起こりました。 白い光が沢山我々のセンターの回りの空に現れました。息子のジムが最初に気付き、 「あの光は何?」と私に尋ねました。それから私ともう一人の弟子が、ガラスドア越しの空の光に気付きました。 光は同時に現れませんでした。一つの光が消えると、別の光が別の方向に現われました。 何度も何度も繰り返しこのような事が続きました。どのぐらい長く続いたのかはわかりませんが、 この期間の間に30コ以上の光が出てきました。私達は、先生の魂がこの光と共に天に昇って行かれていると思いました。

先生が亡くなられる10日程前に、先生は「わしが天へ行った後、魂になるからみんなを守ることが出来る、 何も心配ないよ。」とおっしゃいました。後に私達はこれが本当だと分かりました。

私は、文化の違いで火葬の事を少し心配していました。先生の御遺体を引き取りに二人の方が来られた時、 その内の一人の方が日本語を流暢に話されたので、私達は非常に驚きました。 サンフランシスコやロスアンジェルスとは違って、カリフォルニア州の片田舎で日本語を話す人を見つけるのは、まれなことだからです。 彼の名前はエフラン氏で、20年前に日本に5年間住んでおられ、現在はアンダーソンという隣町に事務所を構えておられます。 その日は日曜日で、偶然に近くのパロシィドロの葬儀社を手伝う事になり来られたのです。彼はとても親切で礼儀正しい方でした。 私達の所にエフラン氏を送って下さった先生に感謝申し上げました。

葬儀社の礼拝堂で、ビューイング(ひつぎに沢山の花束を入れたり、歌を歌ったり等、故人とお別れする行事)を済ませて 御遺体を安置して頂いた二日後、先生の御遺灰用に三つ美しい骨壷を買いたいと思っていました。 日本へ二つ骨壷を持って帰らなければなりませんでした。エフラン氏はパロシドロのオフィスに来られて、 先生のために三つの美しい骨壷を買ってプレゼントにしたいと言われました。 しかし余りに大きい贈り物だから一つだけ頂きますと申し上げますと、彼は何故そうしたいと思ったのかを説明されました。 彼は、先生のビューイングのための奇麗なひつぎの準備や火葬の準備をあれこれされた後、何かとても偉大なものに満たされ、 先生に何かお返しをしたいと思ったということです。そこで私達は、謹んで有難く彼の贈り物をお受けしました。 そして天におられる先生に感謝を捧げました。

それからもっと不思議な事が起こりました。
追悼式の準備のため日本へ戻る一週間前、私は支払いのためにジム・アレン葬儀社に立ち寄りました。 ジム・アレン氏は「この件はエフラン氏が請求書を持ってあなたの家に行く。」と言われたので、 先生をお世話頂いたことのお礼を述べて、そこを出ました。翌日エフラン氏が請求書を持たずに来られ、 「少し不思議な奇跡が起こりました。」と言われました。
――その朝、アレン氏がエフラン氏のオフィスに電話をかけて来られたが、その声はいつもと違っていた。 そして「私は一晩中先生のことを考えに考えて眠ることが出来なかった……。先生の火葬代は頂けない。」とおっしゃったそうです。 私達は大変驚きました。又先生が私達を見守って下さっていると感じました。 ジム・アレン氏や天に、そして死後も見守るよ、と仰った先生に感謝申し上げました。

私達は今、どうしてこうした事が起こったのか分ります。それは先生がどのように人生を歩まれたのかの結果です。 先生は権力や、地位や、金銭に関心を持たれず、いつも天からの啓示に従ってこられました。 先生は人々を助け、世界をもっと住み良い所にすることに関心を持ってこられました。 ですから人々がこの素晴らしい人にどうしてもお返ししたいと痛切に感じられて、このような素晴らしいホスピスサービスや、 美しい三つの骨壷や、心からの火葬一切をお受けになることが出来たのです。

先生は肉体的には逝ってしまわれましたが、ピュアな人生を送ることの重要性に関して、 私たちに影響を与え続けておられます。天はすべてを知り、すべてを分かっておられます。 神は人々が助け合う所が好きだと先生はおっしゃいました。また神は、愉快な明るさが好きだ、 人々や国々の間で争いをするような合理的世界をつくるべきではなく、子供のような神話的な心で、 素朴でオチャメな世界をつくるように努力すべきだともおっしゃいました。 子供が大人や友に、野の一輪の花をあげる時、神はそこにおられます。神話の世界もそこにあります。

私達はこんなにも偉大で素晴らしい先生がおられたこと、 又共に助け合いよりよい世界をつくろうとする美しい人々がこんなにも多くおられることを知って本当に幸運です。

私は先生、天、これらの素晴らしい人々に感謝申し上げます。有難うございました。