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まとめの宝物(1)

我々人間は、過去から幾つかのあやまちをしてきている。

その第一は、言語を作った事である。 これにより人は、相対の世界を意識の中に作ってしまった。 それが「我」をつくり、他をつくり、欲がそこからおきた。 それから経済社会がつくられ、それによって、人は苦の器の中に、入れられてしまった。

又、もう一つ善悪を考えるようになり、感情が乱れ、怒り・怨み・憎しみ・嫉妬その他、醜い心が湧くようになった。

もう一つ、人は迷いと苦の中から、真理を探すようになった。 それは救われようとするからである。 その求道から哲学のような思考の世界が、頭の中に出来上がってしまい、いつも救われようとして考える、知的人間になってしまった。

人は元々、きれいな感情、即ち感性豊かな生き物であった。 それが人間関係で感情が乱れ、知恵は救われる為の論理展開に入り、うるわしい素朴な神話性を失いはじめた。 そして頭脳にたよりすぎ、なんでも考え出せると思いちがいをしてしまった。 即ち頭人間そのものとなってしまったのである。

詩情や神話性という、透明な天人のような自己を失ってしまった。 そしていつまでたっても人間とぶつかり合っているのである。 人間が人間とぶつかり、人間ぎらいになるなど、とんでもない人間となり、そんな人間集団社会を作ってしまっているのである。 いつ人間の世界に光明がさしてくるのであろうかと、人々はがっかりしているのである。 生きてきた事に対して。