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憩いをとれ

宇宙というのはね、憩いをとっているんです。

まぁ、例えば星々があり、星々が輝き、星々が動く。 風が動き、木が揺れ、急流あるいは濁流などの豊かな川の流れがある。 また小鳥がささやくなど…全部が「憩い」です。 憩いの時間なんです。宇宙というのは憩いなんです。

それなのに自分たちは憩いのない労働時間をもっています。 それで働け、働け、働け、働いてそこに自分を見出し自分を放ってしまえ、とこう言うんですけれども、その放るのは結構ですけれどね。 放ろうと思っても放れないんです。 なぜかというと、憩いの時間の中で放っていませんからね。

会社へ行って能率に追い回されるという働きの時間の中にいるのは、自己を滅ぼしているのと同じですね。 こんなことをしているから病気になり、早く死んだりするんです。 働きの中で自己を放ったところで、無我になれないまま終わってしまいます。

しかし憩いをとったら自分を放れるんですねぇ。 憩いをとっている間はね、自分がないんです。 ああいい気持ちだなぁと言っている時間は宇宙の時間と同じなんです。

自分たちのいう時間というのは物理的な時間で、一秒とか十秒とか、一時間とか二時間という距離と速さ能率などからはかられるものです。 そんな人工的な時間だから 世の中が忙しくなればなるほど、自分たちに与える時間感覚というのは忙しいわけでしょう。

本当の時間というのは、そんな人間がこしらえた時間ではなく、宇宙のもっている時間です。 宇宙のもっている時間の中にはね、心があるんです。