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救われる秘訣(2)

さて、1図でも2図でも、その道を通る者を悪魔が待ちうけている。 それに気付かず人は前進する。例えば、ここに一匹の猿がいた。 その猿は壷の中にある豆を取ろうとしている。

 

手をその壷の中につっこんで、豆をにぎるだけにぎって壷から手を抜こうとするが手がぬけない。 そんな事をしていると悪魔の餌食になってしまう。

この壷の豆を取ろうとすると取れない。 何故か?

それは取ろうとする自己、我があってはその豆(宝物、真実なるもの、真理)は取り出す事は出来ないのである。 即ち、世の求道はこのたぐいである。 という事は、求道をやめよ、求道をやめたら自然に自己の中から自然というものが出てくる。

ところがもう一つやっかいな問題がある。 それは感情である。 前述したのは知であり、今度は感情、これをどうするかである。 これをどう扱えば乱れがなくなるか…。

もし知も静まり、感情も静まってくれば万々歳である。 自然というものが自己の中から出て来やすくなる。 求道をやめるだけでも、あせり、みだれ、「我れ」が薄れ、内から自然が出てくる蓋が少し開いた。 そこへ感情の乱れるのをやっつけられたら、蓋が全部開いて自然が出て来て、まともな形相が現れてくる。