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魔法の白鳥が現われる

水でも火でも木でも鳥でも、人間の考えていることを、ちゃんと知っています。 水に(やさしさ)という字を見せると、その水の結晶がほほえんだ結晶となり、(怒り)という字を見せると、とげのあるような結晶が出来る…ということは、水が字そのものの持つ働き(波動)を感得して反応しているという事です。

ところが人間はそれを理解できず、荒々しい言葉や行為で、悪い波動をまき散らしています。 そして今まで人間だけが主人公になって、自然やすべてのものを大切にせず、水や火や活字を我々の道具として使うばかりだったのです。 だから詩的、神話的な宇宙連鎖の中に入ることが出来なかったのです。

次は、これは少し魔法のような出来事ですが、…私達の広い庭に、七面鳥の親子連れの一群30羽ぐらいが、毎日のように草を食べに来ています。 彼等は、見かけが黒っぽい首の長いハゲタカの様で、人々から余り好まれていません。

或る日の夕食の時の事、我々が食事をしていると、その七面鳥が庭の大きな池にずらりと並んで水を飲んでいました。 その時一人が「あれはまるで地上におりたハゲタカみたいだ」と言いはじめ、皆も、うす黒い七面鳥をあれこれと言いはじめました。 それは、いつも思っている事を口に出したまでの事なのです。 そして、「あれが白かったらいいのにねえ」と、白鳥を想像して話し合っていました。

するとその翌朝、朝食の時、又いつものように七面鳥の群れが池のふちにずらりと並んで、水を飲んでいました。 ふと見ると、その中に少し小さめの白いのがいるではありませんか! それも三羽いて一緒に池の水をのんでいる。

(あれ?)…私達は自分達の目を疑いました。 しかしやはり白いのです。 その中の一羽の白い七面鳥が黒い七面鳥と同じように行動して、草を食べて移動しているのです。 しかもその動きは、茶目っ気があって実に可愛いのです。 私達は夢見心地でその白い七面鳥を確かめようとしました。 本当かしら…。 昨夕願った通り、白い鳥が現実に現われているのです。 …私達は写真にとったりビデオにとったり子供のようにはしゃいでいました。 魔法の世界にいるような心地がして…。

それから翌日も又翌日も、その白鳥三羽が群れにまじって現れ、それが数日後からその七面鳥の群れに入らず、三羽だけが独立してやってくるようになりました。 私達は、その訪問者の姿が遠くに現われるのを心待ちにして前方を見はり、まるで天の使いでも迎えるかのような心持ちで、それが現われると心がはしゃぎ、「来た来た!今日も来たよ!」と五人の大人が喜び、まるで毎日が、次元の変わった魔法の世界にいるかの思いを味わわせてもらっていました。

それが次第に、毎日少しずつ私達の近くまで来るようになり、餌を買ってきてそれを与えられるまでになりました。 その首も足も短い七面鳥を図鑑で確かめました。 するとそれはホロホロ鳥だと分かりました。 そしてその白い三羽が一年間ほ程来て我々を心から楽しませてくれました。 …やはり純粋で、素朴な気持ちで言ったり願ったりすると、そういう不思議な事がおきることがあるのですね。

我々があまり知的になりすぎているから、自ら自己の住む世界を閉ざし、その範囲を縮め、魔法のような世界から無縁になっているのです。開くこと、閉ざしでなしに開くこと、それが今、我々に必要な事です。 それには、純粋であり、素朴であらねばなりません。……神話は透明な世界です。矢印一つでも、草花一つでも神話の現われです。

 白鳥