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孔雀の詩的な心

うちの庭には孔雀が放し飼いになっています。 その孔雀の一匹が、いつも東側の庭をうろついていて、それが夕方になると、東側からこちらの西の方に来るのです。 どうして夕方になると西の方に来るのかと私は考えていました。 そうすると分かった事があります。 朝は、太陽があたる東の方に、夕方になると、孔雀が陽のあたる西の方に回ります。

ところがもう一つ見つけた事があります。 ある日、お日さんが西へずーっと、段々に落ちていった時、そこにある大きい岩の上に、孔雀が飛び上がるのを見たのです。 そして西の空のお日さんが沈んでゆくのを、孔雀が静かに、じっと見ているのです。 それを見て私はびっくりしました。とても詩的です。 孔雀にも、詩的な心があるのかなと感心しました。

ところが、人間はそういう心を段々忘れてきています。 孔雀が毎日のようにその岩の上に立って、じーっと長い間、太陽が沈むのを見ている…。 そして満足したら降りて、小屋のある方へ走るようにして帰っていく。 …孔雀でも。 詩的な感性があるのでしょうね。

もう一つ違う話をします。 日本のある花屋さんの話です。 その花屋さんは。世界中を回って日本にない花を買いつけて、それをたくさん増やして、高い金額で売ります。 そういう商売をしている人です。 その人がある時、外国の高い山で、珍しい花を見つけようとしていました。 そしてやっと一軒の貧しい家の前で、見たことのないような珍しい花を見つけたのです。 それでその民家の主人に、この花を売って欲しいと言いました。 ところがその主人は「これは私の花ではありません。 娘の作っている花です。娘に聞いてみてください。」と言うのです。

そこでビジネスが始まりました。 その日本人がその花の持ち主である娘さんに、高い高い金額で買いたいと申し出ました。 その金額は、その地域の人達が一生食べていけるような金額でした。 ところがその娘さんは、その花をどうしても売らないと言うのです。 「これは私の花です。」と言うのです。 これは、お金には変えられないという事ですね。

きれいな話ですね。 一つの花を大切にして、その花を大きくした。 娘さんのきれいな心がそこに表れています。 神話というものはそんなものです。 優しいものです。

そこで、その日本のビジネスマンはそれに心をうたれ、自分の生き方の間違いを反省したというのです。 彼は終いに、珍しい花を売るという商売を辞めたかもしれませんね。

今の人々は、そういう大切な心を失い、お金、お金、お金になりきっています。 それに比べて、孔雀の心、山の上に住んでいる少女の心、これはすごく尊いと思います。 詩的に生きることを忘れてはいけませんね。