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宇宙のゆりかご

知識をもちながら知識を捨てた状態、そしてバカのような円満な顔になる…その方法が分かってきたのです。 それは「ゆりかご」でした。「ゆりかご」に揺られると人は安らぎ、まどろんできます。

安らぐということは、知の動きが止まります。知識はあっても、その知識が働きをやめると、安らいだ平和な表情の顔が現れてくる。 …それが「ゆりかご」に揺られていると、そうなれる、そんな方法を見つけたのです。(これだ!)と私は思いました。

「ゆりかご」に揺られるように、私は椅子に座って、体を前後に揺すり始めました。 すると考えた通り、賢そうな顔は消えて意識が安らかになり、リラックスするようになりました。 「ゆりかご」は宇宙の懐です。そこで私は、意識でゆりかごを作って、毎日その「ゆりかご」に揺られたのです。

宇宙という謎に満ちたピンボケの「ゆりかご」の中に入って、私は私自身の体を揺さぶったのです。 すると私の合理の知識は、氷が溶けるように溶けはじめたのです。それを毎日続けてみました

「ゆりかご」は、自己の内なる合理的な知識の世界を、解体してくれる唯一のものでした。 そのゆりかごは、相対の世界におちこんだ間違いだらけの人間を、元通りの人間に戻してくれるものでした。 またそのゆりかごは、合理の知識を、やさしく横わきに運んでくれるものでした。

これらの働きによって、賢そうな顔の形相は消え、バカのような、神の心の鏡そのものの顔、それが私に現れてきたのです。 朝おきて鏡に向かいました。そこにある顔は、少し口の開いた、ほほえんだアホの顔でした。 そしてこれこそが「完全な彫刻像」になる方法なのだと分かったのです。

私は以前に、「あなたは完全なる彫刻像です。」と言われたことがあります。 その顔はまだまだ未完成のものだといいましたが、それはおそらく賢そうな顔だったのでしょう。

アホのような顔にならねばならなかったのです。 子供のような「オチャメ」の笑みが、深い底から、出ているような顔、人の心がそこに映されるような顔、それは、すべてと和解している安らかな顔でした。 それが「ゆりかご」の中から出来てきたのです。 やっと、自分でも納得のいく顔があらわれ始めたのです。

さて、「宇宙のゆりかご」に揺られてアホになりますと、素直に物事が見えてきます。 知識欲があると物事の真相が見えなくなります。

例えば、朝起きて、「いい天気ですね!」と、つい口に出てしまいます。 このただの一言、こんな簡単な「いい天気ですね!」と言ったそれが、詩なのです。 詩の心なのです。

人々は、詩は難しいと思うでしょう。 しかしこんな「いい天気ですね!」と言ったその一言でも詩なのです。 だから誰でも詩人になれます。 いや詩人そのものが人間なのです。

難しい事を考えると、立派なアホの顔にも、詩人にもなれません。 知識は常に、人を詩と神話からはずれた方向に引っぱっていきます。 神話的な人間になるのはこんなに簡単です。 しかし今まで、その道を開いてくれる人がいなかったのです。

私は「アホの顔」の男に出会ってはじめて、自分の仮面がぬげて来ました。 詩も神話も我々の間近にあります。 1+1→2の、その矢印も神話です。 両手をパチパチ打つと、パチパチと音が出ます。 これも神話です。 それを認識するか、しないかだけの事です。 そこで幸と不幸がわかれてきます。 アホの顔の男は、私を真の知恵の方向に導いてくれました。

知的に合理的になりますと、大切なふれ合いの中にある、よろこびを失ってしまいます。 心の底から暖かく笑える喜びを失ってしまいます。 そして子供の頃にもっていた、光った豊かな「神」のような「アホの顔」がなくなってしまうのです。