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静かな火柱

消えること 消えた世界 というのは
自分が消え
消されるのであるが
相手も消え
消されている世界の ことで

ピュアーな世界
ピュアーでの入口の
世界である

停止とは
自己が停止するのではない
自己と他との その相対活動が
停止するのであって
一元の活動が
行われているのである

停止といったら 何も
自己も・・・何もかもが
動きをとめた状態を
いうのではない

逆にいえば
停止こそ 本当の
エネルギーの活動の時
大爆発を行っている
時でもある

ほほえみとは
ほほえんでいることを
言っているのであろうか
どうもそうではないのだ

一元の中で
泣きさけんで
歓喜しつつぶつかり合い
大可能を展開している
時のことである

雷の親と子は ドドドンと
ただ 平凡に うちつづけて
いるのではない

ドドドン ドドドンと 夢中になって
打ちつづけているのである

静かなうち方ではない
何もかもをさく火柱を
中空に つっ立ててひきさく
天と地をむすび
やききる時である
天と地との はなれを
結びつける
親と子の力である

ほほえみどころか
あの にがにがしいまでに
四角で 角をはやしたて
ぶさいくな顔で
人眼をかまわず
うちつづけているのである

はじめの くっつきを
いつまでも
そうさせずには
おかないのである

消えるものは一点の
中心軸をもっている
相対は 絶対は その
中心軸を軸として
かけっこをしている

遊びが時には
いたずらとなって
相対を泣かしてしまう
ことがある

相対が ピュアーの兄ちゃんに
なかされて
泣きベソをかく時
ー弟が自分勝手に
はしゃぐ時
雷の親子が出てきて

その中をとりもつのである
ドドドン ドドドン
それは忙しい
常に相対は 泣きベソを
かきながら
中心軸を見失うので
それを さがしまわるのである